こんにちは。
心理カウンセラーの天野佳百子です。
やっと秋らしくなってきましたね。
だいぶ間が空いてしまいましたが、今回は、前回の投稿の続きを書こうと思います。
私は前回の投稿で【「Aさんはそうすることによって、何を得られるのだろうか?」と考えてみると、腑に落ちることがあるかもしれません】と書きました。
相手を理解するために、「その人はなぜそうしたか」と考えることは、人間関係においてとても大切なことです。
しかし、「誰が」「なぜそうしたか」「なぜそう言ったか」ということに捉われ過ぎてしまうのも、よくありません。
そうなってしまうと、問題を解決するために必要な「それは事実か?」という事象把握にフィルターがかかってしまうことがあります。
例えば…
『同じアドバイスでも「誰に」言われたかによって、素直に聞くことができない』とします。
そんな時は、誰に言われたかに関係なく、他者に言われたことが「事実」であれば、それを気づかせてくれた人のアドバイスを聞き入れてみてはどうでしょうか。
そのアドバイスは、市販されている本より、ずっとあなたに適したアドバイスなのではないかと、私は思います。
他にも…
『自分を助けてくれた行為は、自分のことを考えてしてくれたのかと思っていたら、ただ単に相手にとって都合がよい「という理由でそうした」だけだった』ということがあったとします。
例え、相手にとってそれが都合が良いからだったとしても、「自分が助かった」という事実に変わりはないのだとすれば、「助けてくれてありがとうと伝える」ことができますよね。
相手にとって都合よいかどうかは、自分には直接の関係のないことである可能性が高いです。
そのため、逆に、相手にお礼を言うことによって、相手を喜ばせて、相手から好印象を持ってもらう。そんなぼた餅的なチャンスに変えることができるかもしれないですよ。
このように、「誰が言ったか」「なぜ言ったか」に気を取られて、アドバイスを聞き入れることができなかったり、感謝の気持ちを伝えることができなかったりすることって、意外とあるのではないでしょうか。
でもそれは、とてももったいないことではありませんか?
神霊感師に言わせると、「神様は、その人の周りの人を使って、その人に何かを伝えようとしてくださることがある」のだそうです。
せっかくの良い機会も、自分が勝手にかけたフィルターによって、受け取る機会を逃してしまう可能性があります。
文化勲章ではないですが、神様は日頃から、周りの物や人などを通して、私たちに必要なものをくださっています。
多過ぎて、すべてを見つけ受け取ることは難しいかもしれませんが、少しでも多くのチャンスに気づくことができるといいですよね。
また、皆さんは、神社で『無病息災』『家内安全』『商売繁盛』などを願ったことはありませんか?
具体的には皆さんそれぞれ、いろいろとあると思いますが、「大まかにいえば、これです」と思えるから、そのような文字の入ったお守りを買い求めているのではないでしょうか。
皆それぞれに「大まかにいえば、これ」というシンプルなものを、家庭や会社で求めているのに、なぜか、意見が食い違い、相容れない存在になってしまう…そのような経験はありませんか?
『目的』は同じはずなのに、なぜそうなってしまうのでしょうか?
それは、立場や経験や知識などの違いが、意見の相違を生んでいる可能性が高く、優先順位や手段の選択のところでぶつかってしまうのです。
今、正に、政治の世界がそうですよね…。
大混乱中です(ー ー;)
『対決より解決』…となるとよいですけど…
はっきり言って、この世の中に『絶対的な正解』はありません。
それを選んだなりの未来があるだけです。
で、あれば、それぞれが、正しいところと間違ったところを持っているということになります。
『今、目的にすべき事柄は何なのか』それを関係者たちで話し合い、それぞれの意見を尊重しつつ、落とし所を探る。Win-Winになるように、それぞれの目標を達成させる方法を見つける。
これが、とても重要です。
『今、目的にすべき事柄は何なのか』を考えるタイミングは、誰が言ったとか、なぜ言ったとか、それで得をするのは誰かとか、そのようなことに捉われ過ぎていると逃してしまうかもしれません。
チャンスの神様は前髪しかないって、聞いたことはありませんか?
(検索すると画像が出てきます(笑))
もしも、私たちにお手伝いができるようであれば、いつでもお声がけくださいね。
ご来店お待ちしております。
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